
間もなく閉幕を迎える大阪・関西万博。美容業界からはタカラベルモントがパピリオンに出展し、そのユニフォームデザインをコシノジュンコさんが手がけたことも話題を呼んだ。
そのコシノさんと、日本を代表する美容室であるPEEK-A-BOO代表の川島文夫さんをスピーカーに迎えたイベントでは、ヘアとファッションのレジェンドの挑戦と、見据える未来、デザインの哲学についてのトークが繰り広げられた。
目次
“美のデザイン”のレジェンドが共演
タカラベルモントは1970年大阪万博と2025年の今回の二度にわたり、コシノジュンコさんにユニフォームデザインをオファー。その縁あって、ファッションとヘアという異なる業界で日本を世界のモードシーンに押し上げてきたデザインのレジェンドの共演が実現した。
2025年7月15日にP.O.南青山ホールで開かれた「TAKARA DESIGN CROSSING(タカラデザインクロッシング)」には、200名を超える美容学生や美容業界関係者が集まり、吉川秀隆社長を交え、「挑戦と実験」というテーマのもとにトークを展開した。
登壇者

コシノジュンコ
デザイナー
大阪府出身。1978年より22年間パリコレに参加。世界各地でショーを開催し、オペラやミュージカルの舞台衣装も手掛ける。文化功労者、フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章受章など、受賞歴多数。大阪・関西万博ではシニアアドバイザーを務める。タカラベルモントの万博ユニフォームデザインは1970年に続き2回目となる。

川島文夫
PEEK-A-BOO代表
東京都出身。高山美容専門学校卒業後渡英し、ヴィダル・サスーンでアジア人初のアートディレクターに就任。“BOX BOB”を生み出し世界的に喝采を浴びる。1977年に「PEEK-A-BOO」をオープンし、現在都内8店舗を展開。徹底した現場主義を貫き、現在もサロンに立つ美容界のレジェンド。国内外でのヘアショーやセミナー、アカデミー運営など幅広く活動。
“時代を創ったロンドン”から約50年続く絆
司会 川島さんとコシノジュンコさんは長いお付き合いだということをお聞きしました。
コシノ そうですね、私がロンドンによく行ってたころが最初の出会いかもしれない。本当に古い、40、50年近く。1973年あたりですね。
川島 73年、そうですね。
司会 PEEK-A-BOOのロゴはなんとコシノジュンコ先生がデザインされたとか?
川島 ロゴではなく、オープンにあたり何かイメージをつくりたいなと思って、やっぱりジュンコ先生しかいないなとお願いに行ったんです。「うちのサロンは男しかいないんで、何かパンチのあるものってできますか?」と。すると一言、「いいわよ、ユニフォームつくってあげる」と。
司会 そんなところから始まったんですね。
川島 その前からよく原宿のクラブでご一緒していて共通の友達もたくさんいたので、親近感がありましたね。

コシノ ファッションとヘアとが一体化して動いていた時代。なかでもヘアは、世界中誰でも興味を持っているじゃないですか。その発祥地っていうのは、ロンドンなんですよ。
川島 そうですね。70年代のロンドンはスウィンギング・ロンドンといって、芸術、ファッション、音楽と偉大なアーティストを輩出しました。生活・文化に革命を起こした場所だと思います。
コシノ それはワクワクする場所でした。当時のパリはクラシックで、今のように若い層がイキイキしてるわけではまだなくて。ロンドンはビートルズが活躍し、世界をどんどん明るくしていました。ファッションと美容、音楽とが一体化するという動きがひとつの大きな時代をつくったし、そのど真ん中に川島さんがいました。
川島 僕は、ヴィダル・サスーンっていうところにいました。
コシノ サスーンは本当にかっこよかった。その名を聞くだけでボブヘアがイメージできて。
川島 僕はずっと先生のボックスボブをカットしていたんです。
コシノ 素晴らしいでしょう。ずっと、ずっと、ずっと永遠にこれが私のスタイルです。
“50年先”を見据えたデザイン、ボックスボブとパンタロンの誕生
司会 では、そのボックスボブのお話から。今見ても本当に新鮮かつ普遍的なデザインだなという風に思うんですが、このボックスボブに行き着いたエピソードをお聞かせいただけますでしょうか?
川島 僕はロンドンで西洋人の髪ばかりをやっていたんですが、根底には日本人のスピリットを持っていたと思います。東洋の美学を少しでもヨーロッパで浸透させたいという気持ちがありました。そこで、僕自身が元々直線的なスタイルが好きなのでこういった形に。たくさんの人に受け入れていただいてうれしかったですね。

川島 やっぱりデザインっていうのは、いつも50年先を見越してつくるものだと思います。ジュンコ先生も50年前に万博のコスチュームを手がけられましたが、今見ても全然古くないじゃないですか。これぞまさしくデザイン。先生のデザインは飽きない。絶えず挑戦的。これの精神が、僕にとってもデザインの原点かなと思います。
コシノ ありがとうございます。本当に生きた言葉・・・・・・私うれしいです。今のお話をうかがいながら50年を振り返ってみて、この出会いが大きな挑戦のきっかけだったと思うんですね。

コシノ 当時はミニスカートが最先端なんですよ。さらに、ブーツも最先端で、誰も履いたことがありませんでした(写真㊧のペプシ館)。そして、生活産業館のこちら(写真㊨)は、履き物を「直割れ足袋」にしたかったんですよ。すると、スタッフのご家族から「うちの娘に直割れ足袋を履かせるなんて」って怒られたので、「バレエシューズ」と英語に変えたの。そうしたら、すんなり大丈夫でした(笑)
司会 ちょうど真ん中がタカラ・ビューティリオンのユニフォームですね。
コシノ はい。当時は「マキシコート」も新しく出てきたころでした。ミニとかマキシとかパンタロンとか、ファッションにまつわる新しい言葉が生まれた時代。だからこれも「マキシコート」と呼びました。万博って「何か」に出会って刺激を受け、未来への大きな挑戦をする。そんな機会でした。

司会 こちらが夏服と冬服ですね。
コシノ パンタロンにスカートを履いてる不思議なスタイルです。当時は女性はスカートを履くのが当たり前の時代。そして「ズボン」っていうとなんか古臭い感じなんだけど、「パンタロン」っていうだけですごくエレガントで、溌剌として新しい、時代を行く女性という感じがすると思って。女性も男性と同じように活躍する時代になったのには、パンタロンが大きく影響していると思っています。
司会 先ほどのボックスボブや女性のパンツスタイルも今や当たり前に。50年先を見据えて生み出されたデザインなんですね。川島さん、今こちらのユニフォームをご覧になっていかがですか?
川島 今でもばっちりじゃないですか。ここにボックスボブだったらまたすごくおしゃれですよね。
コシノ かっこいいですよね。先を見るといっても難しく考えることはなくて。思い切ってやることが先を見ることだと思うんですね。振り返ったら50年前、全然間違ってなかったなってことになる。これは証拠だと思うんですね。だから思ったらやることですよね、躊躇しないでやる!

デザインの源泉は専門分野を超えたクリエイションにあり
司会 「どのようにしてデザインが生まれるのですか?」という問いに対して、どのようにお考えですか。
川島 ヘアデザインの場合、ヘアスタイルだけ勉強してても良くないと思います。建築を見たり、洋服を見たり、食べ物から感じる感性。五感を発展させてこそ多彩なアイデアが生まれると思います。ジュンコ先生は洋服だけじゃなくて生活もデザインされますよね。お皿や家具もデザインした。
コシノ 自分の住まいをデザインしています。
川島 行ったことあるんですけど、かっこよかった。
コシノ 身の周りの「こうだったらいいのに」ということをイメージしたら、デザインしますね。そうすると作品として残り、また次のイメージが湧いてくる。やらないとずっと消えちゃいますね。失敗してもいいんですよ。何が成功か分かんないから、やってみないと。とにかく面白いことへの挑戦によって結果がついてきます。
司会 1970年、お二人が原宿で出会った方々には、いろんな業種のデザイナーやクリエイターがいっぱいいたんですね。
川島 たくさんいましたよね。
コシノ 面白い人がね。音楽、ファッション、映画などのクリエイターが一体化していました。私ね、デザイン画を描くときはまず、ヘアスタイルを描くんですよ。そしてメイクも。それが固まらないと洋服のデザインにいかないんです。顔は“丸”描いて洋服だけ、という人もいますが、私はできないんですよ。トータルで描かないと、成り立たない。
川島 先生が美容師だったらすごくライバルですね!
コシノ 日常生活でも、ヘアが決まると服装も決まり、考え方が決まります。そしてその1日から未来への自信が持てます。ヘアが決まらなかったら、洋服も野暮ったいし、言うことも野暮ったくなり、やってることもわけわからなくなる。決めるのはヘアです。みなさん、責任重大ですよ。
サロンこそがクリエイティブの“実験場”
司会 続けて2025年現在の、「実験」という切り口でデザインについてお話をお聞きしていきます。まず川島先生はSNSなど拝見してもカットが大好きということが伝わってきますが、カットの魅力とはどういうところでしょうか?
川島 髪型は唯一、人間の持っている素材を削ったりしながらデザインするものというところでしょうか。(削るというと)あとはもう整形手術しかないです。
コシノ PEEK-A-BOOってね、ヘアをやってもらいながらちょっと眠いなと寝ちゃって目開いたら驚くほど別人になってるんですよ、大胆に切られちゃって。だからじーっと見てるんですよ(笑)。でもそれが面白いっていうか、それぐらい強烈だから。でもその姿勢が、人生を変える責任感を示していますよね。
川島 そうですね。先生は僕と好きなものが似ているというのもあるんだけど、それに加えて50年ずっと全然ぶれない。それはきっと洋服づくりの基本がしっかりおありで、単に流行ってるからやるではなく、必ず自分の哲学が入っておられる。
コシノ 流行ってるからとそれを求めること自体が遅いでしょう。次の流行を作るためには、今の流行に満足していると何も前に進まない。
司会 そのためにも、現場に立ち続けることで、デザインの「実験」を日々続けていらっしゃるとも言えますね。
川島 サロンワークはクリエイティブの原点だと思います。デザインは誰のためにするのか。自己満足ではなく、やはり人を楽しく豊かに、そして元気と希望を持ってもらうのがヘアデザインだと思います。ですから、毎日サロンに立ってお客さまと接することこそ、一番刺激になっています。
コシノ お客さまのヘアスタイルを決めることは何よりも責任があるし、デザイナーとしての刺激になっていい方法なんでしょうね。
川島 もっともっと刺激を求めて。僕はね、経済だけが国の発展の指標じゃないと思います。ヘアを通してもっと“日本文化”の素晴らしさを認識してもらいたい。やっと最近、日本の美容界がヨーロッパとかアメリカに比べても遜色なく、先端に行っていると思うんですよ。
コシノ そう思います。日本って一歩遅れてるんじゃなくて、島国だから海の向こうに憧れている面があるじゃないですか。いつもちょっと背伸びするっていうのかな。それがいいんですよ。

川島 ちょっと余談になりますけど、ロンドンのビューティフェスティバルで見たタカラの椅子がね、かっこよかったんですよ。宇宙的で近未来的で、どこのブースかなと思ったらタカラだった。おお、やっぱり日本人やるなと。
コシノ ヨーロッパの美容室の椅子は立ってるのか座ってるのかわかんないし、首周りがぐっしょり濡れてしまって全部着替えなきゃいけなくなっちゃう。それと、海外では美容師さんがしゃべっていて真剣じゃないのよね。でも日本は本当に美容師さんが丁寧で椅子も心地よくて、シャンプーはもう天国って感じで! これは日本独特の優しさ、おもてなし。これ世界一ですよ。
吉川社長 徐々に欧米への出荷数は増えていっています。特に「YUMEシャンプー」は定番に。
川島 美容室もこの50年随分変わってきまして。最初にPEEK-A-BOOをオープンした時は、美容室もカット工場か相撲部屋かっていうぐらい殺伐としていた。それが時代が変わってくると、この10年、美容室に安らぎを求めてくる人が多いんですね。素晴らしいカットを求める人もいるんですが、やっぱり美容室に行ってリラックスしたい、自分の時間を持つために行きたい。そういう要望がすごくあります。
2025年、万博で示す未来への挑戦
司会 続きまして、今回は55年ぶりにタカラベルモント2回目のユニフォームデザインになりますが、これはどういったイメージで作られたんでしょうか?

コシノ 万博といえば未来イコール宇宙を想像しますよね。宇宙にどうやったら手軽にメッセージできるかと考えていたときに、今回の万博でも2つのパビリオンデザインを手掛ける建築家の永山祐子さんとお話しする機会があって。そのとき、たとえば折り紙みたいに小さく畳んで、その中に全部イメージを包み込んで、それを宇宙で広げると全部その要素が伝えられるってようなこと聞いたんです。そこで、「折り紙を畳む」という発想でデザインしました。未来からイメージされるのはやっぱり無彩色。しかし、無彩色といっても白や黒ではなくて光だと思いました。「光をデザイン」したと思ってます。
吉川社長 1970年の出展時は「地球上の近未来」のデザインを考えました。そして2025年は「宇宙時代」のイメージに。ブースに来て、自分の目で見ていただいて、未来の美容室や歯科医院がどう変わっていくんだろうということに思いを馳せていただける場になればと思っています。
司会 今回の弊社のブースは具体的なサービスや商品を展示しないということも、1つの「実験」でもありました。
吉川社長 来られた方に考えてもらいたい。だから商品を展示するのではなく、その感性を磨くような場所を提供したいというコンセプトでした。

コシノ そういったタカラさんの想いも踏まえると、やはり挑戦なくして未来はないってことですね。
川島 あ、いいこと言いますね。
コシノ まさに今日のテーマ。挑戦、そして実験ですね。実際にやってみること。失敗もなかなかいいものなんですよ。失敗しようと思ってみんなやってないわよね。でも、失敗と言っても何が正解で失敗なのかわからない。だからやってみることが「実験」の大きなポイントだと思います。
司会 そしてタカラベルモントはこの万博期間中にもうひとつの実験を発表いたしました。
吉川社長 アルミ製のヘアカラーのチューブは回収自体が難しく、再生が難しいとされていました。それを回収して再利用し、アルミのカラーチューブを資源として新しいものをつくります。SDGsの実験として、取り組み始めております。

未来のデザインとは答えのない道を走り続けること
司会 最後に「未来のデザインとは」というテーマで一言ずつコメントをいただきたいと思います。
川島 走り続けること、Keep running to the future。デザインの価値観はその時々にいろいろと変わっていきます。しかしその中で自分を失わないように、遊び心を持って楽しく豊かに。そうするときっと何か生まれるんじゃないかなと思います。これという明確なデザインはまだ分からなくても、それに向かって考えることがデザインだと思います。
司会 だから川島先生はサロンワークをずっと続けてらっしゃるのですね。
川島 おっしゃる通り。
コシノ 未来って見えないから難しいですよね。ですから、やる気にならなければできない、まずは気持ちの問題だと思います。未来って見えないからいくらでも空間がある。そこにやる気があって初めて可能性が生まれるので、やはりみなさんがイキイキとやる気を出すことが確かに未来を形づくることになると思います。過去を振り返ってたらもうダメですね。
司会 かつてコシノ先生がおっしゃった、「過ぎたことは全部ゴミ」という名言がありますが。
コシノ あれは言いすぎね(笑)。でもね、文夫先生もおっしゃるように、やはり走り続ける。後ろを振り返っている暇はないってことですよね。
川島 後ろには夢がないじゃないですか。
吉川社長 未来は見えないからこそ、追い続ければ何か楽しみが見つかるのだと思います。五感プラスもうひとつの第六感、すべてを使って将来に向かって走っていけば。ただ、走り続けなきゃいけない。我々タカラベルモントも立ち止まることなく、しっかりと未来を探しに行かなければと思います。
コシノ 未来には答えがありません。無限ですよ。挑戦の先に答えは見つかります。みなさん、「やればできる」ですね。


■ あわせて読みたい

>> コシノジュンコさん特別インタビュー 「スケッチはヘアスタイルから おかっぱヘアは中学生から」
