
創業期からのメンバーで2代目社長に就任した樺島氏。サロンの繁栄へ多面的に貢献できる企業を目指す
「美容業界を変える」をスローガンに、美容ディーラーとしては2003年創業の後発ながら東証第一部(現・プライム)上場を果たし、国内ナンバーワンの売上となったビューティガレージ。
2025年7月、創業者である野村秀輝氏からバトンを受け継ぎ、2代目社長に就任した樺島義明氏は、サロンを多面的に支援する企業となり、5年後の売上高を620億円にすることを目指します。新たな成長ステージに向かうビジョンと未来への展望をうかがいました。
目次
①ツートップ体制と受け継がれるDNA
―― 新体制は、野村さんが代表取締役会長兼CEO、樺島さんが代表取締役社長兼COOのツートップ体制です。どのように役割を分担されていますか?
野村は引き続きCEOとしてグループ全体を見ながら、新規事業や海外事業に注力します。私は社長として、ビューティガレージの舵取りを任されたという形です。
これまではすべて野村が担っていましたが、これからはビューティガレージ単体の実務は私がしっかりとやっていきます。また、BGパートナーズの社長も引き続き私が務めます。
―― ビューティガレージの実務を担う新社長として変えようと思っていること、逆に変えずに守っていきたいことは何でしょう?
まず、良いところは継承していきます。例えば、ビューティガレージの強みであるスピード感、行動力、実行力。これまで積み上げてきた素晴らしい文化です。それをより良い形に進化させるのが私の使命だと思っています。
一方、変えていきたいこともあります。でも、いきなりガラッと変えるのではなく、良い文化をより良い方向に進化させる、いわば「チューニングしていく」という形で進めていくつもりです。
②「人生最大で最高の決断」をした運命の1時間
―― 樺島さんは創業期からのメンバーですから、その文化を醸成してきたお一人ですね。当時はどんな様子だったのでしょう?
そうですね。野村は前職の広告代理店でお世話になった先輩なので、会社を辞めて広告代理店業務を行うWASABI(現・BGナビ)を立ち上げた時から知っています。
ある日、野村に恵比寿の喫茶店へ呼び出され、3センチはある分厚い事業計画書を見せられました。それがビューティガレージの構想でした。1時間にも及ぶ熱いプレゼンを聞き終わる頃には「これは必ずいける」と確信し、「ぜひ一緒にやらせてください」と。それが全ての始まりでした。
―― 安定した会社を辞めることに迷いはなかったのでしょうか?
ありがたいことに引き留める声はありました。実は、希望していた海外赴任もほぼ決まっていたんです。それでも、私の中ではさほど思い切ったという認識はなくて。
いつか自分で会社をつくったり社長をできたらいいなと思っていたので、これは良い機会だし、良い勉強になるという気持ちが強かった。いま振り返れば、あの喫茶店での1時間が終わった時の返事は、私の人生において「最大で最高の決断」だったと言えますね。当時29歳、20代が終わるギリギリの時でした。

―― 何もないところからのスタートです。どんな日々でしたか?
まず始めたのが、中古の美容機器・器具の買い取りと販売です。WASABIの広告代理店業と二足のわらじでした。
昼間は銀座の広告会社に顔を出してイベント企画などの仕事をもらい、夕方になるとバン車に乗ってサロンへ買い取りに。大型器具は重いので、ワイシャツに汗がにじみます。他にないサービスだったので、とてもありがたがられました。
③美容業界に「新たな選択肢」を提供してきた20年
―― 中古の販売は、よくあるサービスではないのですか?
それが美容業界にはほとんどなかったんです。メーカーの引き取りしかなかったところに買い取りに出すという選択肢が生まれた。だから喜ばれました。
―― 美容業界へ新たな選択肢、価値を提供したというわけですね。
私たちが創造してきた価値の一つは中古美容器具という市場を創出したことです。そして、業界に先駆けてECサイトを立ち上げ、プロ向け美容商材の流通に革命を起こしたこと。さらに格安なプライベートブランドの器具や材料を開発してサロン様のコスト削減に貢献したこと。そして開業支援です。
共通するのは、業界に「新たな選択肢」を提供してきたという点です。創業からの20年あまりで、ビューティガレージが美容業界に最も貢献できたこと、それは選択肢を増やしたことだと考えています。

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