洋装ブライダルの先駆者 横田冨佐子氏お別れの会

経営・業界動向
洋装ブライダルの先駆者 横田冨佐子氏お別れの会

(写真右から)故・横田冨佐子氏の長男・横田敏一氏、長女の早稲田真佐美氏、敏一氏の妻・勢津子氏

一昨年の8月4日に94歳で逝去した横田冨佐子氏(YOKOTA/mani CREARE名誉会長=当時)のお別れの会が、2023年8月1日に執り行われた。参列者らは、洋装ブライダルの先駆者であり、ビューティ横田の創業者である氏を偲んだ。

思い出話で明るく盛り上がる

新型コロナウイルスの流行により、数回にわたって延期されたお別れの会。2年ちかくが経ったことや社会情勢をかんがみ、家族、親戚、同社のOBを中心に少人数で催された。

横田氏の遺影
白いバラに囲まれた横田冨佐子氏の遺影

会場となった東京・新宿の京王プラザホテル高尾の間には親しいメンバーが集った。長男の横田敏一氏(YOKOTA/mani CREARE代表)によると「繊細かつ豪快だった、その人となりや裏話、思い出話で盛り上がった」という。

故・横田冨佐子氏の遺影を囲むビューティ横田代表の横田敏一氏ら
遺影を抱く、亡き冨佐子氏の長男で同社の現代表を務める横田敏一氏(中央)とお別れの会の参列者

美容業界の発展に尽力

横田冨佐子氏は1927年(昭和2年)生まれ。1950年(昭和25年)に「フサ美容室」を東京・三鷹で開店し、美容師としてのキャリアをスタートした。

若かりし頃の横田氏
若かりし頃の冨佐子氏

1959年(昭和34年)、吉祥寺に「ビューティ横田」を開店。この店名は、YOKOTA/mani CREAREを構成する6社のうち1社の社名として、今日まで引き継がれている。

施術中の横田氏
笑顔で施術する冨佐子氏の姿も

1979年(昭和54年)に「横田冨佐子総合美容文化会」を発足させ、1981年(昭和56年)には「横田冨佐子杯ブライダルコンテスト」をスタート。業界団体の役職も多数務め、美容業界の発展に大きく寄与した。

その功績は社会的にも高く評価され、1985年(昭和60年)の紺綬褒章や1993年(平成5年)の社会文化功労賞受賞など、数々の栄誉に浴していた。

横田氏が写る集合写真
冨佐子氏の交友関係の広さを感じる数々の集合写真

横田冨佐子氏の役職・受賞歴

横田冨佐子氏の略歴

1927年(昭和2年) 岐阜・飛騨高山に生まれる。

1950年(昭和25年) 東京・三鷹に「フサ美容室」を開店。

1959年(昭和34年) 吉祥寺に「ビューティ横田」を開店、社名をビューティ横田に改める。

1979年(昭和54年) 「横田冨佐子総合美容文化会」を発足。

1981年(昭和56年) 「横田冨佐子杯ブライダルコンテスト」を開催。

美容業界団体の役職

ブライダル装いの会 創設者

横田冨佐子総合美容文化会 創設者

美協日本ヘアデザイン協会(NHDK) 相談役

Inter coiffure japan 名誉役員(元副会長)

全日本婚礼美容家協会 評議員

ブライダルの装い協会 名誉会長

東京都美容師国家試験委員

主な受賞歴

1985年(昭和60年) 紺綬褒章を受賞

1990年(平成2年) 東京都優秀技能賞を受賞

1993年(平成5年) 社会文化功労賞を受賞

編集・文/大徳明子 撮影/漆戸美保(アルバム写真のみ。お別れの会の模様はYOKOTA/mani CREARE提供)

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